小林人


何度も見たくなる仕掛けと、西諸弁の面白さ、映画のような映像美で小林市の魅力を伝える「小林市移住促進PRムービー“ンダモシタン小林”」。立案、企画から制作に至るまでチームを指揮したのは、市出身の越智一仁さん(35)。広告代理店の株式会社電通に勤務し、大手企業のCM・企画などを数多く手掛けている。

今回の動画制作のきっかけは昨年7月。自分が手掛けた作品が海外の賞を受賞したことを、市に連絡したことから始まった。今年の春に市から動画の相談を受け、今年度の動画制作(全4本)を受託。「てなんど小林プロジェクトの『西諸弁ポスター』やFacebookページの盛り上がりは知っていたので、『この人たちとなら、何かやれるぞ』という予感はありました」という越智さん。移住をテーマとした第1弾で、見事に小林市を話題化させた。

「普通、一市町村の作る動画が話題になることは、まずありません。また、時間や予算など、制限の多い仕事でもありました。しかし、西諸弁の言葉選びから、撮影、収録まで、関係者が一つのチームになって取り組むことができました。それで、なんとか乗り越えられたという感じ。出身地の仕事ということもあり、とにかくプレッシャーがすごかったですが(笑)」。

大自然でのロケや打ち合わせなどを通し、古里の新たな一面も見た。「撮影してみると、行ったことのない場所、見たことのない場所ってあるものだなと。また、かつて自分が暮らしていた頃から随分変わったところにも気づきました。意外と中にいると気づかないことってたくさんあるんだと思います。何もないと思っていたまちですが、どうやら世の中の人たちはこの溢れる自然とゆっくりとした時の流れに興味を持っているようです。良い所は残したまま、もっとまちが元気に活性化していくといいですね。」

ochi

写真/「ンダモシタン小林」撮影の一場面

昔から絵や音楽が好きで、文化祭や体育祭は全力で取り組むタイプだった。高校の頃に目指していたのは、ミュージシャンのミュージックビデオを作る仕事。しかし大学受験に失敗し浪人。人生について深く考える時期を過ごした。

1年後、現役の頃の志望校ではなく、映像の勉強ができる九州芸術工科大学に入学。「自分で決めたからには後には引けない」と、映像制作に打ち込み、仲間たちと議論する毎日を過ごした。そんな中、広告の道を志すきっかけとなる1本のCMと出会う。公共広告機構の「黒い絵」。衝撃を受け、感動のあまり涙した。

周りから「絶対に無理」と言われながらも、業界最大手の株式会社電通に入社。1年の営業を経て、念願のCMプランナーになった。

しかし、待っていたのは挫折。自分の企画は認められず、同期が次々に作品を作ったり、賞を受賞する中、先輩の手伝いをするだけの辛い5年間を過ごした。

6年目。ウェブ系の部署への異動を勧められ「このままここにいても何も変わらない」と異動を決心。新たな舞台でがむしゃらに仕事に打ち込んだ。3年後、自分の手がけた作品が、日本初となる国際的賞を受賞。「この仕事についてよかった」と思える瞬間がやっと訪れた。

今思うのは、故郷への恩返し。「小林市というまちは、とにかく情報が少ない。それは、子供たちが職業や進路について考える時に、とても大きなハンデをです。そこには、もっと選択肢があるということや、社会の中でどのような生き方を探せば良いのか?とか。学校では絶対に教えてくれない、OBとしての知恵や経験談を、いつか地元の子供たちに伝えられたらと思っています」。

話題化だけでは終わらせない。越智さんの後半戦が始まっている。

「世の中がものすごいスピードで変化しています。今、僕は「広告」という領域の仕事をしていますが、今後それはどんどん形を変えていくでしょうし、僕自身も変わり続けなければならないと思っています。ただ、真ん中にある情熱と言うか哲学と言うか、このまちで育ったからこそ持っている何か泥臭い「ココロ」みたいなものを失くさないように、ブレないように気をつけながら、ガンガン新しいことにチャレンジしていきたいです。」(「広報こばやし」平成27年10月号掲載)

 

プロフィール/代表作品など

細野出身。昭和55年1月生。南小、小林中、小林高校を卒業。九州芸術工科大学(現九州大学芸術工学部)画像設計学科・大学院卒業後、株式会社電通に入社。 コピーライターやCMプランナーを経て、CDCコミュニケーション・プランナーに。これまで、ソニー、キャノン、ホンダ、ドコモ、ネピア、コカ・コーラな どを担当。手がけた作品が国内外で多数受賞。