小林人
岩切章太郎さんの教え受け萩の茶屋を花の名所へ
国道268号線沿いにあるスミちゃんラーメン「萩の茶屋」は、四季折々の草木花が楽しめる花の名所。春は2千本のヤエザクラと3万本のツツジが同時に咲き、初夏にはバラやアジサイ、秋には400万本のヒガンバナが咲きそろう。
ここの植栽管理責任者として、草木を日々手入れしているのは、松嶺忠志さん83歳。訪れた人や地元民から親しみを込めて「花咲か爺さん」と呼ばれている。
萩の茶屋は、1964年(昭和39年)に青島、霧島、桜島を結ぶ定番の観光ルート(3島ルート)の休憩所として宮崎交通がドライブインとして開業。花の名所として開発された。
農家だった松嶺さんは、植栽管理人として34歳のときに入社。花の知識は乏しかったが、同社の創業者で「宮崎観光の父」と呼ばれる岩切章太郎さんの「大地に絵を描く」という理念を形にするべく努力。ナタや造林鎌で竹藪を切り開きながら、手探りで草木を植栽し、遊歩道を整備した。
岩切さんからの指示は、とにかくシンプル。いつも赤と青の鉛筆でサッと描かれたイメージを渡された。「ただし『兵隊並び(真っ直ぐにそろえる)じゃいかん』と言われていました」。その教えは松嶺さんのこだわりとして、今でも敷地の随所に残っている。
松嶺さんは、82年に退職。その後、宮崎交通は、経営合理化のため萩の茶屋の売却を決定。紙屋でラーメン屋を開いていた池田正明さんに買収・運営の話が舞い込んだ。「昔から慣れ親しんでいた萩の茶屋。荒れていく状態を見ていて辛かった」という池田さん。当時ゴルフ場に勤めていた松嶺さんに相談した。植栽管理を打診された松嶺さんは、晩年の岩切さんから言われた言葉を思い出した
「俺がいなくなっても、あとはちゃんとやってくれるよな、松嶺くん」。
ずっと胸につかえていたあの約束を果たせると、迷わず引き受けた。
池田さんに譲渡が決まった平成19年、敷地は背の丈以上にカヤが伸び、「ツツジの中に立つと向こうが見えないほど」だったという。周囲が心配する中、全てを膝の高さほどまで大胆に刈り込み、世話を続けた。現在では、4月中旬になると山が真紅に染まる景色が戻っている。松嶺さんは「やっと恩返しできたかな」と安堵の表情を見せた。
ツツジが見頃を終えるころ、松嶺さんはまだ若いバラや藤棚の手入れに追われていた。数年後、新名物となるであろう花木たちだ。毎年成長し、移り変わる自然美が萩の茶屋にはある。「花咲か爺さん」は、今日も大地に絵を描く。(「広報こばやし」平成27年5月号掲載)