こばやしのヒト
阪神淡路大震災をきっかけに脱サラし、1995年、宮崎県小林市に移住した梶並達明さんをインタビュー。霧島山の北東部に位置する夷守岳のふもとで、減農薬野菜を栽培する「生駒高原農園」の営業をスタート。現在は銀座にあるフランス料理の名店「ESqUISSE(エスキス)」など、東京や福岡を中心に野菜を出荷。シェフや地元の人々に愛される野菜をつくる心意気には、モノづくりをするならば見習うべき、生産者としての哲学がありました。
減農薬で野菜をつくるようになったのは、なぜでしょうか。
梶並 おいしい野菜を食べたいっていう動機で農業を始めたからね。自分で食べる野菜に薬はかけたくないじゃん。
どんな野菜にしたってさ、思いっきり薬をかけて市場に出荷している。だけど、そういう野菜をつくっているひとたちは、自分では食べないんですよ。
農薬がいっぱいかかった野菜を孫に食べさせるのか、形が悪かったりするけどできるだけ農薬を使わずに育てた野菜を孫に食べさせるのか。どっちがいいと思う? 人間が生きるってことの原点って、食うことじゃん。食べるということは、未来を考えることなんですよ。本当に安全なものを子どもに、孫に、その先の世代に食べさせられる野菜づくりをしなきゃならない。
梶並さんが野菜をつくるうえで一番大切にしていることはなんでしょうか。
梶並 種まく時に、早く大きくなれよ、おいしくなれよ~って、心を込めて植えることかな。これって大型機械で種まき機を後ろにつけて、一気にまけばそんなこと何も思わないで、よし終わった、これで遊びにでも行こうかって考え始めちゃうよね。それって、食べるひとのことをちゃんと想像していないと思う。
じゃなくて、汗流しながらでも早く芽を出せよ、大きくなれよ、おいしい野菜になれよ!って思いながら植えるほうが、すごくおもしろいじゃん。だから芽が出た時に感動するし、収穫した時も感動する。
梶並 野菜をレストランに出荷するまでの種をまいている時、箱詰めしている時でさえも、どうやってこれを料理しよう……って悩むシェフの顔が想像できるんです。
そして、僕が育てた野菜をふるまってくれるひと、食べてくれるひとの姿が本当に想像できるから、おいしい野菜をつくってあげんといかん。「おいしかったです。また食べに来ます」って、お店のお客さんがシェフと握手している姿を想像するところまでが僕の仕事。手をかけて野菜をつくるって、すっごい面倒くさいし、大変。それでも「自分が食べたい」っていう気持ちが根底にあるから続けられるんですよ。
梶並 達明さん
1957年岡山県生まれ。1995年小林市にIターンして就農。妻和枝さんの両親と4人で農業を営む。いろいろな西洋野菜を栽培しており、イタリアンやフレンチ、ドイツ料理や中華料理などのシェフも顧客に多い。