こばやしのヒト

小林で23歳から写真館を始め、以後50年間、写真を撮り続けている川原信幸さん。

川原さんの眼差しがどこに向けられているのかを伺っているうちに、幾度となく口にされていたのは「運が良かった」という言葉。その言葉は、育ててくれた地域や人への想いに溢れていました。
(以下、川原信幸)
その人の一番良い表情を見て盗むのが、写真家の技術

写真って、100%笑っている顔が良いとは限らないと思うんです。重要なのは、笑顔の度合いで。

営業写真というのは、写っているのは当たり前でも、見ていただいた時に「わー!」くらいは言っていただかないと。「ふーん」くらいでは、満足していないなと思わないと。

人と、運に恵まれた写真家人生

北九州の写真館では、住み込みで食事だけいただき、給料はなし。休みは月に2回、小遣いも三千円くらいでタバコを買うのでもう精一杯。そんな生活を4年弱していました。

今でも忘れません。22時くらいまで師匠と二人で修正作業をしていたときに、ついに「辞めさせてください」と言ったときのことを。

師匠は、「そんな話があるんだったら、帰って、頑張れ!」と言ってくれた。本当にいい師匠だった。今でも思い出すと、涙が出そうです。

泥臭く、足で稼いだ23歳

小林に戻ってきて写真館を始めたのは、23歳のときでした。

待っていても結婚式の仕事は来ないので、まずは営業をしました。夜になると、結婚式を挙げる予定の人のご自宅に、アルバムを持ってお伺いして回りました。

苦労もしましたが、順調に近い形で仕事が増えていったと思います。人との縁があったから、続けてこれました。

育ててくれた、小林への恩返し

還暦の頃、宮崎に土地を買ってスタジオを作りました。

宮崎のスタジオを作るとき、師匠からは「こんな時代に大丈夫か、無茶をするなよ」と言われていて。でも私は「師匠、響の名前もらいますよ」と返した。それほど師匠のことが好きでした。

宮崎には12年間いましたが、4年前にガンが見つかり、小林に帰ってきました。

去年は創業50年の節目。
地域への感謝の気持ちとして、60歳以上の高齢者を撮影対象とした写真展を開きました。23歳の若造が、ここまでやってこれたのは、小林の人たちのおかげ。私自身、地域に育ててもらったと思っています。



川原伸幸さん