小林おもひ人


プロフィール/Plofile

1974年5月24日生まれ。小林市細野在住。
高校を卒業後、設計事務所に就職。1級建築士を取得後、コンピューターに興味を持ちプログラマーの世界へ。
5年前に帰郷。現在はクリーニング師として活躍中。妻と可愛い2人の娘の4人家族。中心市街地の活性化を目指す市民団体「こばやし未来研究所」所長。

高校卒業と同時に都会へ。東京で感じた違和感。

中学、高校の多感な時期は小林が大嫌いでした。何にもない田舎だと思ってたので。
「早く高校を卒業して小林を出たい。」って事ばかり考えてました。 高校を卒業して進学のために福岡に、そして就職で東京に住みました。最初は凄く楽しかったですね。ま ちが人や物で溢れていて凄い活気に満ちてましたから。
でも、長く住んでみると何か違和感みたいなものを感じる様になったんです。毎日が凄く楽しいのに何か違うなって。
その違和感って「やっぱり自分は生粋の田舎者なんだ。」って事だったんです。(笑)
都会に住むのは楽しいけどやっぱり疲れるから、仕事や遊びでたまに行けばいいかなって。

「何にもない」と思っていた小林は、宝に溢れた街だった。

それで5年程前に小林に戻りました。
出るときはあんなに嫌いだった小林が、一度離れたからか それとも歳のせいか、落ち着くんですよね。そして小林の良さを改めて感じました。
霧島連山が綺麗に見える風景に、その下で育った美味しい野菜、日本一の西諸牛、水や空気。
ほんと、この自然が育んでくれた物は全てが美味しい。これは小林の宝ですね。
そして、なにより都会にはない人の優しさや温かさ。
ほんと小林って、いい人多いなって思いますよ。
何もない田舎だと思ってた小林は、実は自然、食べ物、人の優しさに溢れた街だったんです。

僕らの世代がまちを盛り上げていく番。
昔の大人たちのように。今の子どもたちのために。

でも帰ってきて見えたのは、いいことばかりじゃありません。まちは僕が出て行ったときのままで活気がないなって。僕らが小学生ぐらいの時は、商店街は人が結構歩いていたり、まちなかで花火大会や土曜夜市があって、まち全体が元気でした。今思えばその頃の小林には楽しかった思い出が多いんですよね。
またあの頃の様にまちなかに人が集まり、イベントが行われ子供からお年寄りまでが交流できるまちになってほしい。
そんな思いもあり、その第1歩として私は「こばやし未来研究所」という団体を立ち上げました。誕生して間もない10数名の団体ですが、駅を中心としたまちづくりをはじめ、まちなかで色んなイベントを開催して、また小林を元気にしたい。子供のころ大人たちが頑張って色んなイベントをしてくれたように、次は僕たちが今の子どもたちのためにやってやる番じゃないか。
子どもたちに小林をもっと好きになってもらうために。
小林を離れても、いつかまた小林に戻りたいと思ってもらうためにも。