小林おもひ人
プロフィール/Plofile
1977年1月8日生まれ。小林市真方在住。奄美大島出身。妻の実家である小林市に6年前にIターン移住。妻と3人の息子と5人家族。休日はサーフィンをしてエネルギーチャージ。
子どもたちとの時間を持てることが、小林に来て一番よかったと思うこと。
小林市に来る前は、大阪で広告や出版の仕事をしていて、妻はずっと料理の世界にいて、「いつか実家の魚屋を継ぐのもいいね」と話していました。でも、妻の故郷である小林市で自分たちの店を出すとは思ってもいませんでした。故郷は奄美大島。元々幼いころから引っ越しや転校が多く、高校を卒業したら島から出るのも当たり前だったので、小林に移住することも、ほとんど抵抗はなかったです。むしろ知らない土地に行けることの楽しみの方が大きかったです。
子どもが3人いて、長男は大阪で生まれました。2歳になる前に小林市に移住。大阪に残っていたら、会社勤めを続けていて、なかなか家で家族と過ごす時間もとれなかったと思います。こんなに楽しく、余裕を持った子育てはできなかったでしょうね。お店の隣が住まいなので、妻と一緒に仕事をしながら子どもと接することができる。この違いが一番大きいです。「あぁうるさい!」と思うこともありますが、その声があるから張り合いもでるし、やる気が出て、頑張れます。妻の両親も一緒に働いていて協力し合える関係。こういうのはやっぱり田舎でないとできないかなと思います。
あと、魚屋視点で思う小林の魅力は、いろいろな土地の魚が集まること。宮崎だったら海があるけど、どうしても宮崎の魚に偏りますが、小林には、宮崎や鹿児島、福岡などから魚が入ってくるので、実は魚の種類が豊富なんです。
80年続く魚屋の4代目として、伝統を守り次の世代へ繋げていきたい。
魚屋は、お父さんが3代目で僕が4代目、80年という歴史があるので、本当に地域の人から必要とされているんだと日々感じます。なので、それを守っていきたい。僕らの代が伝統を守りながら新しい何か…、例えば情報発信を工夫するなどして、次の世代に繋いでいけるよう頑張らないと、と思っています。
あとは、すごく経営が良くなったからといって、場所を移動することはしたくないんです。ずっとここの場所で魚屋をしていたい。だんだん専門店が少なくなって郊外の大型スーパーが増えてきていますが、「専門店ならでは」「魚屋の良さ」を市民のみなさんに伝えていければと思っています。
僕が来てからも、以前まで近所にあった小さな商店がなくなりました。いろいろと売っているお店で、お年寄りの方が何かを買いに行くのに便利な場所だったので、店がなくなったときは皆さん困ったと話していました。そういう意味でも魚屋としての役割を残していければと思っています。
ゴミ拾いをしながら町を歩き、子どもたちと“ふるさと小林”を学んでいく。
2,30年後というと僕の息子たちが、今の僕らと同じくらいの歳になって第一線にいる世代。一番身近にいる自分の子どもに対して、自分は何をしていけばいいのかをいつも考えています。
僕自身が、ふるさとの奄美大島にものすごく思いをもっているんです。何かあったら協力したり、行く先々で奄美の魅力を伝えて回ったりするのですが、僕の子どもたちが小林というまちに、同じような思いを持ってもらうためには、あの子たちが、ここで育ったという感覚がないと、出て行くか、この街に住み続けるとしても、大して興味を持たないと思うんです。
だから、まずはふるさとに触れて欲しい。
僕は、小さい頃から、大人の人たちに、歴史や文化に触れる機会をたくさん作ってもらっていました。今、奄美の同世代で頑張っている人たちも、やっぱり小さいときにそういう教育を受けて育ってきた人たちが多いんです。 ただ僕自身が小林出身ではないので、僕も日々勉強しないと、子どもたちに伝えることができない。小林の歴史とか文化とか伝統とか知らないことが多いですし、あちこち子どもたちも連れて出て行って、いろいろ参加したりしています。
そして、身近でやってることはゴミ拾い。月に2、3回子どもたちと一緒に歩いています。歩くと、史跡とかあったりするじゃないですか。そういうのを見て、「これ知ってる?こうなんだよ」って言って。まだ分かるわけはないんですけど、僕が連れて行かないと接する機会がないんじゃないかと思うので。
小林という街の歴史を伝え、彼らの中に蓄積されていけば、2,30年後に小林を出たとしてもきっと「小林のために何かしたい」と思ってもらえるはず。私が地元の奄美を愛するように、子どもたちの中にも、ふるさと小林市に対するアイデンティティを育てていければ、と思っています。